『studio Ui』について
バブル崩壊、就職難のせいで・・
真奈美は今年50歳になる。90年代はじめに短大を卒業した。在学中、就職活動をがんばったものの、どこの企業にも内定をもらえず、ついに卒業式をむかえた。その年の9月、アパレルメーカー「ノンワード梶山」の販売員募集を就職求人誌で見つけ、採用された。
希望の仕事ではなかったが、「とりあえず誰でも知っている大企業だし、勤め先も有名百貨店、友達にも自慢できる」という軽い気持ちで就職した。
ファストファッションの横行やネットショッピング、百貨店衰退などが予測できなかったこの時代、真奈美は将来の事など全く予想もしなかった。
つまらない仕事
真奈美は、キレイな洋服を身にまとい、百貨店の店頭に立った。就職先は正丸百貨店の3階婦人服売り場内の「32区」というショップだった。
仕事のできない40代の店長と、いじわるな30代のサブ店長、2歳上の先輩の4人のメンバー。
洋服の知識がそれほどない真奈美は、適当に接客し、適当に売上を上げた。
まだ服が売れる時代だった。
大した努力はせず、ただ店頭に立って時間を過ごす。
店長とサブ店長はケンカばかりし、狭いショップはいつも嫌な雰囲気につつまれていた。
そのせいか、ショップ全体の売上も低迷し、入社2年でショップは閉鎖。
それと同時に真奈美は解雇された。
しかし、百貨店側のはからいで販売員募集をしていた2階のショップの「ミネストローネ」というショップに再就職した。
「32区」をクビになって1ヶ月後のことである。
繰り返す、クビと再就職
真奈美が悪いわけでもないのだが、就職するショップが1、2年以内に必ずクローズした。真奈美は「自分はなんて運が悪いんだろう」と思うものの、再就職先はいつもなんとか見つかるので、その生活に疑問を持たず、毎日百貨店の店頭に立った。
真奈美は実家で両親と3人暮らし。
働かなくても食べていける環境だった。
20代、30代があっという間に過ぎ、真奈美は40代。
いつの間にか結婚の期も逃していた。
両親は70代で国民年金暮らし。家は借家の3LDK団地。
団塊Jrの真奈美の年代は、学校教育に「IT」などというワードはなく、販売員しかしてこなかった真奈美は、パソコンすらほとんど触ることができなかった。
歳をとっても何のスキルもなく、口先だけの適当な販売員生活に真奈美は何の疑問も抱かず満足していた。
自分の老後に直面!自分が悪いのか?社会が悪いのか?
令和の時代、アパレルメーカーは次々倒産。有名百貨店の婦人服フロア内もショップが次々クローズし、シャッター街状態になっている。
40代後半になっていた真奈美は、正規採用の仕事はなく、派遣や催事場のバイトがたまにあるだけ。
父親は亡くなり、母とふたり暮らし。主要な生活費は母の国民年金。
真奈美の稼ぎは仕事量によって毎月まちまち。
コロナ渦の中で真奈美の仕事は更に減ってきた。
就職活動もしてみたが、パソコンも触れないし、なんのスキルもないババアには仕事もない。
そんな中母が胃がんの宣告を受けた。
もう長くはないらしい。
真奈美は適当な仕事に疑問も抱かず楽に暮らしてきた。
親もいなくなり、貯金もない。
老後なんて遠い話だと思っていたが、あっという間にやってくる。
バブル崩壊後の時代が悪かったのか?「運」が悪かっただけなのか?真奈美は自分が悪かったとそれでも認めたくはなかった。