ゆい環境問題研究会

フェミニズムの歴史

フェミニズムという言葉をご存知だろうか。フェミニズムとは、女性の解放思想とそれに基づく社会運動のことである。あらゆる面で起きている女性差別をなくし、男女関係なく平等に権利を行使できることを目指すという目的で、社会運動が現在でも行われているのだ。
フェミニズムが活発化したのは、19世紀の市民革命だと言われている。
フェミニズムは、女性の参政権運動が中心となっていた第一派と、既存の社会習慣や意識に囚われず、性差別をなくそうとする第二派に大きく分類される。第一派では、多くの国で女性参政権が認められた。
特に、ニュージーランドでは、婦人参政権論者のケイト・シェパードが活躍したことで、世界で最も早く女性参政権を勝ち取ることができた。

第二派では、女性解放運動がさらに活発化した。特に、アメリカの「ウーマン・リブ運動」が、女性の労働の自由が認められる大きなきっかけとなったのだ。

現在では国連と言われる国際的な影響力を持つ期間がSDGsという取り組みの一環で男女のジェンダーを排除した社会を目指そうとしている。
さらにLGBTQと呼ばれる Lesbian(レズビアン、女性同性愛者)、Gay(ゲイ、男性同性愛者)、Bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)、Transgender(トランスジェンダー)、Queer(クイアー、変態)と呼ばれる性的マイノリティ(性的少数者)の社会的な地位を向上させるとともに、そのような価値観を一般的にしようという改革と思想をそれぞれの国の価値観を一切無視して世界に押し付けている。

しかし、現在でもフェミニズムの問題はいくつもあり、妊娠中絶や避妊などもフェミニズムに大きく関係している。

長い女性解放の歴史

フェミニズムとは女性解放思想とそれに付随する運動のことである。
近年より強調される女性の社会進出に関する運動と類似性があるが、その誕生は1789年のフランス革命にまで遡る。
当時男性にしか与えられなかった市民権及び参政権を求め、欧州各地に広まっていった。

日本でも明治維新以降、限定的ではあるが女性解放が進み、1872年東京女学校が開設された。とりわけ日本では、参政権とともに女性に教育は必要ないという風潮がながらく続いてきたため、これは画期的なことであった。
近年になると、先進諸国を中心に女性の政治進出、賃金格差の是正、セクシャルハラススメントの告発など広まりを続けている。
日本も1972年の男女雇用機会均等法制定などにより女性解放を進めているが、2015年段階での衆議院女性議員数が全体の9.5%と、先進国の中では最も低水準に留まっている。
最後に著名なフェミニストであるが、海外だと女優のエマ・ワトソンが積極的な活動を行なっている。日本では、平塚らいてうが最も著名である。大正から昭和にかけて女性の参政権運動などで大きな足跡を残した。その言葉「元始、女性は太陽であった」はあまりに有名である。
結局のところ、フェミニズムは全世界的に現在進行形な思想で、ながらく続いた男性優位時代の反動として、今後も広がり続けていくべきものである。



世界的に見たフェミニズム

ファッション業界から「フェミニン」という言葉を聞くようになったのはまだ記憶に新しい。
初めて聞いた時はどういう意味だろうかと思ったが、その人がまとっているファッションから容易に想像できた。
「可愛らしさ・女性らしさ・少しの幼さ」などがそれに当てはまるあてはまるだろう。
用語を調べてみると「女性の」「女性的」という意味で用いられ、その根底には、女性的・男性的という保守的なステレオタイプの社会との対比が念頭に置かれていた。


フェミニズムというものを社会的に捉えたときに、あるファッションスタイリストさんが頭に浮かんだ。
いわゆるオネェと言われるジェンダリズムを否定した男性のことだが、的確で物怖じしない言い回しにファンが多い人だ。

具体的には、ikkoさんやマツコ・デラックスのことである。

男性と女性との中立的な立ち位置からの指摘であるから腹が立たないのだ。
面白いのは当の女性、特に若い女性はあまり「フェミニン」に関心がない人が多いように感じる。

社会的には、フェミニズムやフェミニストとは、女性解放思想などの政治的運動で使う言葉のようだ。

日本の現代では男女差はあまり感じないかもしれないが、以前男性が女性専用車両の運行やレディースデーなるものを揶揄していたことを思い出した。
近年起こったハイヒール着用義務付けに対しての抗議、これも問題に対しての立派な行動だ。
このような問題はあらゆるところに潜んでおりそれを疑問視するかしないか、声に出すか出さないかは自由。
そして世界的に見て近年の女性が起こす運動や行動は未来への女性への偏見減少につながると思う。



身近なフェミニズムとは

「フェミニズム」というワードを耳にした時、どのようなイメージを思い浮かべるだろうか。
「女性に優しくすること」や「女性に甘くすること」と考える人は意外と多いかもしれない。しかし、フェミニズムとは「女性が性別を理由に、不当な扱いや不利益を受けない社会を目指す」が本来の意味である。

つまり、フェミニズムは女性優位の社会を目指しているのではなく、男女差別を撤廃し、平等な社会を作っていこうという意味が込められているのだ。
また、「女性らしく」や「男性らしく」というステレオタイプをなくしていくことも重要な目的である。
なので、最近は子供用のおもちゃであっても、「女の子用」や「男の子用」といった表記をなくしていく動きが見られているのだ。

また、東京大学の入学式で読まれた、上野千鶴子さんの祝辞もフェミニズムを象徴していると言えるだろう。
男女差別をなくそうという動きは、日本でも活発化してきているが、セクハラやジェンダーフリーの問題などが山積みである。

職場で有能なフェミニスト

フェミニストの対義語はセクハラ野郎である。少なくとも日本の職場ではそうであろう。
さて、職場で女性が休み時間に少し机で休んでいて、お腹のあたりに手を当てている。だいたいこんな場合は生理痛で、それが重い人は大変なのである。
たとえて言うなら、へそから手を入れられて腰骨をぐにゅっとひねられたような痛みだというのだ。

昨今の会社なら、生理休暇とか時短勤務、フレックスがあるので、それを理由に休んでいただいても一向にかまわないのだが、その女性はなかなか机の状態から復旧しないようである。

さて、そんなことであれば「帰宅でもしたら」と勧めたいのであるが、2ちゃんねるのひろゆきが言うところのひげおやじのような容姿の私が生理がひどいなら…と言おうものならキモイ親父が(以下略)的な扱いをされ、会社のコンプライアンス部門に呼び出されてしまう。
そこで、自称フェミニストである年下上司に登場願うことにした。この人の外見は一見チャラ男であるが、それがこんな時ほど助かることはない。そのチャラ男、いや年下上司にご登場願い、体調を取って帰宅してもらうことに成功した。
こんなときに、見た目もフェミニストなら、私も役に立てるのにと思うことしばしばである。



フェミニズムの今後あるべき姿とは

SNSで度々話題に上がるフェニズムやフェミニストという言葉。しかし意味の捉え方は人それぞれで、よく知らない人がいるのも事実である。
歴史的な背景等はよく知らなくとも「女性差別を無くすための活動」というような意味合いのイデオロギーであり、多くの人が男女の不平等の是正だと捉えており、それに対し個人個人が意見を述べているのが現実である。

しかしその先はしっかり見据えているのかと言えば疑問が残る。男女が理解し合う事が差別を無くす上で重要な事であるのに「男はだまってろ」と言う論調をよく目にする。
同じ志をもった人たちだけで集まり声をあげ他人の発言には耳を貸さないという平等を目指すどころか更なる差別を生み出す結果になっている。
最近では「ジェンダーギャップ」等の言葉もセットのように使われる。

男女同権を目指す事は良い事である。しかしどんな未来にしたいかまで語る人は少ない。
事実日本はジェンダーギャップが大きいというのはメディアを通じて誰もが知っている事実。

それは「ギャップがあると女性が差別されている事になる」という認識から問題視しているのである。しかし現実はどうだろう。
幸福度になると男女が逆転する。経営者や会社の上の立場に立つのは男性が多いのに幸福度は男性の方が下なのだ。他の国と比べてもこれは珍しい現象である。


また、コロナウィルスの影響で女性の自殺者が増えたというニュースもよく見聞きするが、実際には今だに男性の自殺者が倍以上の数になっている。また、ホームレスの数も圧倒的に男性が多い。さらに付け加えるなら就労中に仕事が原因で死亡する数も圧倒的に男性が多い。
日本におけるジェンダーギャップの問題は女性が上に立てない事ではなく、男性が上に立つ事で苦しむ社会とも言えるのではないだろうか。そのような視点から見ればフェミニズムというのは男性を無視して語られる事は全く意味を持たないのである。
SNSでは「男も辛いんだ」という意見が上がれば「それは女性に言わず自分達で声をあげろ」というやり取りが繰り広げられる。それには2つの理由がある。
一つは男性自身が辛いと言っても今の社会では取り上げられにくく、女性の意見ばかりを通す事で男性差別が生まれてしまう事を防ぎたいという気持ち。
もう一つは女性側が男性の意見を聞くと自分達の主張が潰されてしまうのではないかという不安。
これではいつになっても歩み寄るどころか平行線のままである。


そして上記の件も踏まえた上で問題視しなければならないのは「今のままでも良いんだ」とうい意見が言いにくくなってしまっている事。変化する事が最善という同調圧力のようなものによって現状維持の意見は無理されがちである。

例えば、女性の社会進出がそうである。共働きが当たり前になり男性も育児をする事が当然という考えが広がり男性の育休取得もこれから進むと予想される。しかし、男性が稼ぎ自分は専業主婦で家事育児に専念したいというのは言いにくくなってしまっている。
それを裏付けるのが年収による結婚の男女差だ。
女性は低所得だから結婚しにくいという事はない。しかし男性は所得が低ければ低いほど結婚できないという統計がある。それは稼げない男性は結婚相手として選ばれにくいという事だ。極端な話をすれば家事育児は男性がやって自分は働きたいという女性は少ないという事。

この事実をジェンダーギャップと絡めて考えると納得できる部分が出て来る。
日本において出世をし稼ぐという事はあまり幸せな事ではないから自分以外の稼げる人と一緒になる方が幸せになれるという女性が多いのは言うまでもない。
しかしそれを正直に言えば「男性に甘えてる」という女性になってしまう。だからこそ「女性は辛いんだ」という声を挙げる事で辛さの平等を得ようとしているのである。
確かに差別を受けている女性は沢山いる、しかし受けていない人も沢山いるのも事実。そのように差別に関心が無い人はフェミニズムに賛同しない。
だからフェミニストと言われる多くの女性が皆同じように差別を受けているかのように主張するのであり、それが日本におけるフェミニズムの現状である。