マスコミは商売?
マスコミは決して、人々のために存在するわけではありません。マスコミはあくまでも、スポンサーに対して、なんらかの利益を還元しないことには、商売としては成り立たないからです。
そして、読者や視聴者にスポンサーの広告を見せないことには、新聞やテレビ局といったマスメディアは存続できません。
それは、必然的な社会構造であり、ときには、注目を集めるために、視聴者に迎合するような報道や記事を書いたりするといった面もあったりします。
これはマスコミがマスゴミと言える宿命かもしれません。
あくまでも、マスコミも資本主義の一部
よって、国民のための報道や知る権利などは、資本主義においては二の次となることは、むしろ必然的であります。なぜなら、視聴者に何らかの情報を与える代わりに、マスコミには何らかの金銭的メリットが、として成り立っていきません。
時には、お金を落としてくれる内容を伴わなくてはなりません。
結果的に、マスコミは民主主義社会にとって不都合な報道しかしないと言ったケースも最近では問題となっております。
これも資本主義社会では仕方のないことなのでしょう。
スポンサーの意向を汲まなければならない
資本主義の問題は、マスコミはスポンサー、いわゆる広告主の意向に沿った、あるいは逆らわないような内容でなければならないことです。ここにマスコミの限界、落とし穴があります。
そんな中で、マスコミの中でも、例えば月刊雑誌の「暮らしの手帖」のように、広告を一切載せないような雑誌もありますが、これはごく一部の例にすぎません。
暮らしの手帖はスポンサーの忖度が無い良質なメディア
「暮らしの手帖」は、たとえばガスレンジの商品の比較を、きめ細かに実験検証し、商品の評価を行うことによって、読者の支持を集めたようです。これは広告を一切載せないといった思い切った経営方針のなせる業です。
マスコミはスポンサーありきのビジネス
普通のマスコミでは、そうはいきません。広告主の意向を無視した雑誌があるでしょうか?
広告を載せているがゆえに、広告記事に近いような記事も散見されます。
マスコミは権力を批判するためにある?
マスコミは、社会の木鐸とも言われるように、権力を批判することは、当然の役目として、本来はその役割を果たしていかなければなりません。しかし、偏向報道や権力闘争のためのスキャンダルによって、視聴者の常識的・良心的な見識が傷つけられることもままあります。
例えば、朝日新聞などもこの一部に入ろうかと思いますが、政府批判は大いに結構としても、その度合いが過ぎると良心的な見識が傷つけられます。
» 朝日新聞による報道犯罪について
権力のためのマスコミ
たしかに権力の側を痛烈に批判することは、小気味よく、読んでいて面白くはあるのですが、マスコミの役割における大切なことが抜け落ちてしまうこともあります。頭の良い高学歴の記者たちが、一刀両断にスパッと現実に切り込んでいく様は、ニュースを受け取る側としては、本当にスカッとする面もあります。
しかし、意図的な偏向報道や印象操作によって、マスコミは権力の一部となり「、一般人の常識・良識をゆがめてしまう面も否定できません。
わたしたちの良心を奮い立たせてくれるか?
わたしたちが生きていくうえで、いちばん大切にしていかなくてはならないのは、批判することではありません。(もちろん、批判することも大事です)わたしたちが大事にしていかなくてはいけないのは、良識的に、良心的に日々の暮らしを過ごしていくことです。
わたしたちの良識、良心を支えてくれるようなマスコミの力が必要と思います。
批判ばっかりして、耳にタコができるほどの同じような批判を繰り返し、わたしたちの暮らしにそれほど支えになってくれているでしょうか?
わたしたちの日々の暮らしを支えてくれる知恵を提供してくれるものでなければならないマスコミが、いまどれほどあるでしょうか?
逆に政治家たちに揶揄されるような有様も見受けられます。
マスコミ側の社会的な役割について、そろそろ再考が必要と思います。