ゆい環境問題研究会

危機感の乏しい日本人には環境問題など扱えない

高度経済成長期の日本にとっての環境問題

50年余の人生を振り返る時、私の人生の中で最初に環境問題を意識したのは、1970年代前半の『公害』であった。
小学生高学年だった当時、光化学スモッグ注意報が発令で急に屋内に退避するように言われたり、朝礼で同級生が何人も倒れたりと、その被害を目の当たりにしたのが最初だった。
報道は有害物質垂れ流し、利益追求の高度成長産業政策がもたらした弊害と政府や企業を責めていた。

公害問題の教育

授業でも、イタイタイ病やカネミ油症事件等、被害者の写真と共にその問題を教育現場ではよく取り上げられていた。
折しも『日本列島改造論』で全国の山野が乱開発されたり、第一次オイルショックで自分の親も含めてトイレットペーパー買いだめに走ったりと、大人の世界の醜さを見せつけられた思いもした記憶がある。

一度は忘れられた日本の環境問題

そんな中、上流の工場排水の影響で七色に変わると揶揄された近所の川でも無邪気に遊び、排ガスまみれの環境でも倒れることなく無事成長していった私は、あまり環境問題を自分の課題として意識することはなかった。

日本の公害対策への取り組みも進み、少しずつ大気汚染や水質汚濁が無くなり、社会全体も環境問題を取り上げることはなくなった。

それでも日本は発展し、1980年代末のバブル期に頂点を迎えるまで、環境問題は忘れ去られたようだった。



形を変えた環境問題

再び環境問題と向き合わねばならなかったのは、省エネ、リサイクル、リユースなどが着目された2000年代の頃だ。

政府が環境省なる部署を作って、クールビズ運動を推進し、会社のエアコンの設定温度まで細かく指導するようになった。
会社の事業報告の中にも環境問題への取り組みをデータ付きで報告する必要も出てきて、新しい専属役員と部署までできた。


家電リサイクル法等もでき、廃家電に余計にお金を取られるようなった。
一見悪くはない運動に見えるが、そのベースにあったのは新興国の台頭による資源価格の高騰と実現性の乏しい京都議定書でのイニシアティブを取ったことへの見栄など、本当の意味での環境被害を実感したものの上に築かれたものではなかった。

環境問題はリアルからバーチャルへ移行し、ある国が排出したCO2は別の国と売買できるという新しいビジネスまで出現した。
残された現実のデータはCO2排出量の増加だけだった。



そして21世紀の環境問題

今、環境問題として、特に日本が意識するものは何だろうか。

現実に国民が健康被害を受けていた高度成長期の『公害』の記憶は遠く消え去り、バーチャルな数字の上でのCO2削減を目指したクールビズ運動も流行りではなくなった。

2011年の東日本大震災での福島原発事故で、原子力に対する安全神話が崩れ、新しいエネルギーミックスの議論もほんの一時。
放射能が大気中に拡散し、東京圏内にもホットスポットが見つかったと騒いだ記憶も薄れた。

およそ記憶の保持時間の短い人間にとって、長い年月をかけて形成され、育まれていく地球環境に関する問題を取り扱うのは根本的に無理なのではないのか。
もしそうであるならば、これまでとは全く別の方法が、危機意識の乏しい日本人が必然的に取らざるを得ない手立てを考える必要があるのかもしれない。