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結婚して体調不良で田舎の実家へと帰る話

掴んだ都会生活

池田康子は東北のとある田舎町に生まれたが、地元の短大を出ると、実家を離れ、憧れの東京でのOL生活に入って行った。

都内アパートの高い家賃の支払いに毎月のようにビクビクしながらも、大好きな都会生活をエンジョイできる事が何よりも幸せで、食費やオシャレにかける費用を抑えながらも、東京暮らしを維持することに必死だった。

そんな彼女が都会での一人暮らしでの一番の憩いは勤め先がお休みの日の度に、都繁華街のどこかへぶらり出かけてウインドーショッピングを楽しんだ後、ぶらり目に入ったどこかのチェーン店のカフェへ入る事だった。

池田康子が入ったカフェでは、空いていない場合を除いて決まってまずはカウンター席を陣取った。
池田康子はカウンター席で1人座って、窓の外から見える外の景色を見つめながら。

外の景色を見るのが大好きだった。

カウンター席で1人座って都会人をマンウォッチングしながら、洗練された都会人に混ざって生活できる喜びをかみしめていた。

池田康子は田舎の人の過干渉さや古い考えを持つことに、子供の頃から自由を奪われた様な気持ちを持って来た。
その分都会を良く思う気持ちは誰よりも強く持っていたのだ。



都会で理想男性に出逢う

池田康子は東京に上京してから5年ほど経った頃、夫となる松田アツシに出逢う。
松田アツシは池田康子の勤め先によく出入りしていたお得意先の男性の一人で、入社後少ししてから一言二言交わす機会があった。

その時お互いに何となく魅かれ合い、徐々に交わす言葉を増やして行った綺麗な標準語を使い、余り他人に感心がなく、歩く速度はスマートでキビキビ、その歩き方を、池田康子は東京の早い生活ペースに慣れ親しんだ証だと捉えていた。

何かひらめくと右手指を使ってパチンと鳴らす仕草にも惚れ惚れしていた。

外食の場では、フォークとナイフを器用に使うのも都会育ちの良い男子の象徴にも見えた。

そして松田アツシの子供の頃の思い出話を聞くのも好きだった。
何故なら、田舎で生まれ育った自分には丈根の花に感じるアイテムばかり登場するからだ。
銀座の老舗有名店の和菓子やパンを食べて育ったこと、高校生の時は、休日によく原宿へ出かけた事、家族とは浅草でお寿司やウナギも食べたことなど、田舎で生まれ育った池田康子には、憧れやら羨ましさで。

聞かされる度に心を熱くさせられたものだった。



手放した都会生活後

結婚してからちょうど7年目の冬、松田アツシは体調不良を訴え暫く寝込むことになった。

それを契機とするかのように、松田アツシは池田康子にそれまで温めてきた決意を告げることになる:「私はもう都会生活はウンザリなんだ。

人が少なくて自然に囲まれた田舎で静かに百姓にでもなって暮らそうと思う。イヤもう決めたんだ。

池田康子勿論ついてきてくれるよね」池田康子は、実家とは上手く行っていなかったし、結婚後専業主婦になったのでその頃は自立の力も失っていたし、松田アツシのことを愛していた。

折角手に入れたお気に入りの都会生活を手に入れたのに、再び嫌いな田舎暮らしへ戻るなんて、やって行けるかと暫く悲観した。

でも、結局松田アツシについていくしかないという結論にしかならなかった。

松田アツシはやがてとある田舎町の茄子を主軸とした野菜栽培農家との縁を掴み、夫婦二人でまずは一年間そちらに弟子入り、その後独立して夫婦二人三脚の田舎での農家生活を始めていった。

池田康子は愛する夫のそばで毎日のように働ける喜びはあった。

それでも、苦手な田舎での暮らへの不快感はいつまで経ってもぬぐえなかった。

朝目覚めると、毎日のように「誰かココから出して」という自分の魂の叫びに気づくが、出来ないという無力さがやって来る。

そんな心の葛藤をかき消すかのようにして、日々野菜栽培の仕事に励んで行くのだが、いつまで経っても納得いかない田舎生活、なんとか解決したいと時々占い鑑定士に頼るようになって行った。

相談内容はいつも同じ、「どうしたら都会生活を取り戻せますか」だ。


過去生に起因すると聞けば、過去生の書き換えに潜在意識に関与する施術に頼ることもあった。
年に5、6件ほどの鑑定を受けて行ったが、もちろん松田アツシには内緒であった。

けれどどんな鑑定結果を受けてもそこでの生活に動きが出ないまま月日ばっかり流れて行った。

やがて他の人に自分の人生を操作して貰えることなどできないと気づいた頃から、鑑定を受けるのをやめることにした。

心の葛藤は消えそうにない、でも他の人にはどうにもできないようだし、自分こそ無力、ならばこのまま運命に任せよう、そんな諦めの気持ちも多く抱くようになって行った。



運命に降参。でも祈ることは出来る

やがて池田康子はもう自分の田舎生活を自分で何とかしようという気力をすっかり失っていた。

とは言ってもそこでの生活への抵抗感はあり続けたままである。

池田康子はそんな自分を、まるで狭いかごの中で回転車にのって一生懸命に進もうとしても進めない、可哀想なラットの様だと自分を笑ってみたりもする。

ハムスターではなく、ラット、もちろんラットという呼び方をするのだから、実験用という事になる。

池田康子は天界で自分が苦手な田舎でどんな生き方をするのか、実験でもされている、不思議とそんな気分も持っていた。

つまり、田舎という閉鎖的空間の中もがき苦しむ自分自身の姿を、狭い籠の中、回転車に乗りながら、進もうとも進めないという惨めなラットに例えて見えていた。

しかもこの出来事は、天界から仕掛けられた実験であり、池田康子がこの問題をどう片づけて行くのか試されているのだという捉え方をしていた。

池田康子が回転車に乗せられたラットのような毎日が始まって、気が付くともう15年、池田康子は年もあってもう疲れている。

せめて回転台から降りようと時々無になる努力も始めた。
せめて寝る前に、わらをもつかむ気持ちで、ひそかに何か嬉しい奇跡でも起きないかと思い、希望を捨てないようにはしている。

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