白ゆり長としての活動に疲れました
白ゆり長ともなると、純粋に楽しくて明るい話がなくなってくるのが、白ゆり長の特徴ですが、これってどういう事かと思うと、感動がなくなるのですね。
実際、白ゆり長として活動が面倒くさくなるし、本当に感動がなくなってきます。
何も知らない一般会員のような情熱とパワーは、すでになくなっているという話を思い返しました。
これから、楽しむものってなんでしょうね。
分かりはしませんけれど、考えているだけやっていきたいと思っています。
ある程度、自由が欲しいと思います、学会活動とかはこれくらいと自分で決めてその範囲内でやっていきたいです。
それ以上は、出来る限りという事でしょうか。
今は白ゆり長を辞めて自由になりたい
白ゆり長をやめて結婚できず、親がいなくなったら、生活保護でも私は別にいいなあと思っています。
何だか物欲より、心、そして生命の欲求という非常に抽象的な表現ですが、そんな感じなが大事んですよね。
まあまだ白ゆり長解任になってないので、健康のためにこれをやっておこうだとか、男子部にちょっかいをかけるのも楽しみだなあとは思っています。
それも、親が生きている間だけの信心で、あとは私が強く感じている事ですね。
父母を見ていて、信心は両親が生きている限りだと思いました
今日、父親が、トイレから出てきて、母がちょこっと見たら、父のズボンの中にトイレットペーパーがトイレのからから回るトイレ紙入れまで繋がっていたのだそうです。
母は達観しつつも、「お父さんそれは」と話したら「意味がわかんないでーす」と本人が言ったのだそうです。
これって認知症の手前だなあと思っています。
午後に死が怖いのではないのではないかとメールをしたら、そんな話をするなと母からメールが返ってきました。
人の生死に比べれば、後は小さい事だという言葉もあります。
実際、生死が解明されれば、もっと人生の設計も出来てくるかもしれません。
生死が解明されれば、バーチャルなんていらなくなるのではないでしょうか。
普通の人は、死をなんだかんだ言って恐れています。
どんなに頭でこうなると思っても、死が近づいた時、考えが止まるだろうなと思っています。
父も土地も金も関係なく、死が怖く、下の汚れも何もなく、考える事をやめたいのかもしれません。
そういえば、ずっと普通の女性言葉を使っていた母が、地元の静岡弁を使うようになりました。
神奈川弁だったか「おらっち、これから飯食うだ」とそういう言い方ですね。
「~けろ」という言い方もします。
それが年老いる事で、それを自然に受け入れてあげる事が、人間のやさしさであり、時代の流れなのかもしれませんね。
今日も、生まれ変わりのメールがきましたが、普通に話を聞かせていただきました。
父母も、元気にとは言えませんが、楽しく最後までというのが本音です。
本当の気持ちです。
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