地区婦人部長として活動し続けるの疲れた
人生って分からないよと、よく色々な大人の人から子どもの頃、聞かされていたものでした。
本当によくも悪くも分からないものだとは思います。
なぜそんなことを今考えているかといえば、地区婦人部長としての活動に疲れたからです。
もっと具体的に言えば、人生そのものや学会活動に対して疲れたと思います。
まあ、個人的な話はおいておいて、今日食べたごはんがとてもおいしかったので、今日1日は良かったと思いました。
食べる事で心の疲れが若干収まると、後はほっとするものです。
何と言いますか、地区婦人部長としての活動が何が疲れたかについて書きながら、去年考えていた某や某に取りつかれた知人主婦を思い出すのですが、その後一体どうなったのだろうと思います。
とにかく、学会の幹部とか役職に就くと、途中でその役職を辞めることとか降りることができないので、まともな精神で活動をすると疲れます。
と言うか、 役職を途中で辞退すれば、退転者と思われて、退転者の烙印のレッテル貼りされるので、続けざるを得ないというのが現状です。
これ以上地区婦人部長を続けることを考えていると、胃酸が出てくるので考えをやめました。
考え方が変わる
逆に、楽しい事を考えて、今年は良い年である事を思いながら、生きていこうと考えています。
借金を返すもありですが、やる事を決めてそれにひた走りという事ですね。
とりあえずは適当に地区婦人部長の役職を続けながら徐々にランディングアウトをしてフェードアウトをする予定です。
予想通りに事が運べば、全く問題はありません。
アクシデントが困ってしまいますが、意外と人間は何とかなるものです。
企業などを使い徐々に役職から辞退する方がソフトな形で地区部長を辞められると思います。
話は変わるけど、認知症防止のために父か母か家事をやっていますね。
暇だとかという理由で、父は、何年か前から体を動かすようになりました。
まあほとんど寝ていて、本人も認めているようですけれど。
ともあれ、寝っぱなしってきついのではないかと私は思うのですけれどね。
そういえば父の成功って何だったのだろうと思うと、プラスマイナスゼロなのかもなあと思います。
母は最初は滑ったスタートだったけれど、最後は大団円で終わりそうな感じですし、父も今では穏やかに丸くなっています。
昔はサラ金やら、借金ばかりしていた人生だったようですが、私も子どもの頃、父が家にいたのを覚えておらず、父の子どもの記憶ってほとんどないのですよね。
そろそろ人生も折り返し地点なので、功徳とか、そういうことについて客観的に他の人を見て分析しようと思いますけど、現実にはストイックな活動ってあんまり、自分には向いてないし、世の中のためになっているとも思いません。
とはいっても、今は朝に軽く話してそれで終わり程度なのですけれど、父を理解するのに遅かったとはいえ、今では父の幸せって何だったのかと思います。
でも、幸せか不幸かというと、昔はサラ金に手を出していた父が、今では、家族のためにそれなりに生活をしてくれているという事が、母から聞いて嬉しかったりします。
地区婦人部長を少しづつ辞めようと思う
とりあえず無駄に地区婦人部長という役職は疲れるんだけなので、役職につけと言われても何かしらの理由でで断ったほうが冷静だと思います。
割と子煩悩(本当でしょうか)な所が抜けていないという話を聞きますが、そうかもしれませんね。
まあお世辞も六割入っているのですが。
ちゃんと家族や犬の事を考えている父親だなとは最近よく思います。
私は気が付いたら、父親のプライドをずたずたにするような行動をしていたと気が付きました。
昭和戦後生まれの人には、男の意地とプライドを崩してはいけないですし、その恩恵で生きているわけですから、本当に文句の付け所もありません。
私自身はそこまで熱心に地区婦人部長として命を捧げて活動をしなくても良かったと思いました。
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